最近はすっかり雨模様で梅雨に入った感じですね。
アクティ部な自分としては外で遊べない悶々とした修行の時期です。
この時期つまり詰まって読書をするんですが、最近読んで関心を持ったことが
あります。
僕が住む長野は自然が豊ですが、それは一見なんだと最近とても思います。
小さい時から自然の中で遊んだ記憶もありますし、
今でも自然の中で遊んでいますが、最近強く思うのが川の魚の減少です。
昔と遊ぶ場所が変わらないので子供の時に魚の魚群を見た場所でも
今では魚を見ることがありません。
真っ黒になりながら夏休みには魚を捕まえていたことを今でも思い出します。
原因を探ってみると色んな物が出てきます。
近くに釣りキチがいるのでそのせいかとも思いましたが
原因はすべて自分達。
山を必要以上に伐採して、その結果山が本来の力を無くし土砂崩れを起こし
そのためにダムを作り、決壊すれば堤防を作り川を整備しと繰り返す。
自分達の楽のために。
こんなんで川の中の生き物が生きているはずがないし、
魚が登ることの出来ない高さの見栄えの堤防で魚が帰って来るはずも無い。
自分の子供はまだいないけど、昔は魚がいたんだよ。って
自分達の楽しみを伝えられないことが悲しい。
その時代にあった楽しみ方を見つけるのもいいけどそれだけがいいとも
思えない。
原因はまだあります。
あるカヌーイストのエッセイを読んでいると、農薬も原因の一つ。
農薬といえば自分も関係していることです。
いつも考えていることとつながることがありました。
川も今、ダムが無ければ決壊し自分達の住む場所が危ぶまれます。
飲み水の供給も難しくなるんだと思います。
果物や野菜だって、農薬が無いに超したことはありませんが
無ければもちろん今スーパーに並んでいる物の様に数や形は安定しないでしょう。
そうなれば価格も安定しないでしょうし、
悩みの種は尽きません。
だから出来ることからじわじわと、長い年月をかけて解決していくしかないと
思います。
自分としては農薬を極力使わないことと、無農薬にして行くこと。
それを理解してもらい、もっと環境を良くして行くこと、その輪を広げて行くこと。
自由の中に責任があると思いました。